TOKYO TEA BLENDERSではティーインストラクターの知識をお伝えする無料メルマガTEA FOLKS通信で和紅茶(国産紅茶、地紅茶)についてご紹介しています。メルマガで書ききれなかった地紅茶サミットのあゆみについてインタビューをしています。
なお、2021年の第20回全国地紅茶サミットは11月13日(土)~14日(日)の期間、南九州市の知覧で開催予定です。
”目次”
はじめに
お二人が地紅茶サミットに取り組まれたきっかけ
そもそも地紅茶/和紅茶はどのようにうまれたのか
地紅茶サミットが「グッドデザイン賞」を受賞した背景と「世界遺産」への展望
紅茶で世界平和、そして宇宙平和へ!?
地紅茶/和紅茶の国内と海外への普及にむけた課題
地紅茶/和紅茶の特徴とは?
地紅茶学会とは?
1.はじめに
近年、日本の茶園が作る紅茶が地紅茶や和紅茶として注目を浴びています。
この地紅茶/和紅茶の人気を一過性のものとせず、各茶園の持続的発展、ひいては地方創生に繋げるためには、ビジネス層やより若い層に知ってもらい、世代を超えた嗜好品として親しまれるようになって欲しいと考えています。
そこで今回は、地紅茶/和紅茶の変遷とこれからを探るため、地紅茶サミットを2002年から企画運営し『ニッポンの地紅茶<完全ガイド>』枻出版社 2019年の監修をされた藤原一輝さん、赤須治郎さんにオンラインインタビューをしました。
インタビューはTOKYO TEA BLENDERSが主催し、東京大学紅茶同好会KUREHA、駒澤大学紅茶文化研究会、中央大学紅茶同好会の3大学の複数の学生メンバーとともに実施しました。
大学の紅茶サークルを主催するメンバーたちは、若い層の中では紅茶への関心が最も高い層であるのは間違いありません。
しかし、和紅茶との接点がほとんどないため、残念ながら和紅茶についてほとんど知らないという意見が多数でした。
藤原さん、赤須さんという企画のプロフェッショナルからどのようなお話が聞けたのでしょうか。
2.お二人が地紅茶サミットに取り組まれたきっかけ
”地紅茶”という言葉の生みの親である藤原さんは、「日本人と紅茶」を人生のテーマにしてその関係を中心に、なぜ人間はお茶を飲むのか、様々な思考を巡らせてきました。
40年以上紅茶に親しむなかで、飲むだけでなく色々な文献にあたり、明治時代から昭和40年代まで日本で紅茶が作られていた事実を知って驚いたといいます。そのことがきっかけで地紅茶の活動を赤須さんとはじめて20年以上が経ちました。
その赤須さんは”和紅茶”の名づけ親でもあります。藤原さんとの出会いは地域づくりの企画を通して2000年ころに鳥取県に視察にいったのがきっかけでした。そこで藤原さんとともに実際に紅茶を作る体験をして、地域として紅茶を作るその面白さに目覚めたといいます。
この「地域づくりと紅茶」というテーマで2002年に始めたのが地紅茶サミットであり、最初は産業的・技術的な基盤が弱く、生産者の情報交換がサミットの役割でした。
そこから生産技術・流通についての進化が進み、2010年に地紅茶サミットが茶の都である静岡市で開かれたことで、これまで細々と紅茶作りをしてきた茶生産者たちが紅茶を作っているということをカミングアウトし、ブレイクのきっかけとなりました。
藤原さんは、この静岡大会での和紅茶のブレイクという現象は、日本茶が価格の低下や農家の減少で産業として成り立たなくなるかもしれないという危機感のあらわれでもあるとみています。
緑茶と紅茶合わせて日本の文化、と考える藤原さんは、日本の茶文化を守っていく必要性を強く感じています。加えて、藤原さんは日本人の紅茶文化についてもっと研究がなされてほしいと考えています。
例えば日本独自のものであるほうじ茶のような焙煎茶の文化の研究や、その世界での立ち位置の考察はこれから日本茶文化を発展させるうえで非常に大切だと語っていました。
3.そもそも地紅茶/和紅茶はどのようにうまれたのか
現在の地紅茶ブームの源流は、1980年代終わりから1990年代にかけての紅茶の復興にあると藤原さんは語ります。
1971年に紅茶の関税を撤廃してからは、海外産の高品質で低価格の紅茶におされて日本の茶園は紅茶作りをやめて緑茶づくりに集中していました。
しかし、大分県の平松知事の唱えた一村一品運動に呼応するかたちで、紅茶を生産する運動が1980年代終わりに見られるようになります。多くの茶園でつくられる緑茶ではなく、当時は特に珍しかった紅茶に注目したのです。
このような経緯を背景に持って始まった地紅茶は、地域活性化という性格を強くもつようになります。
この地紅茶に対し、和紅茶という言葉の持つ意味は何なのでしょうか。地紅茶と和紅茶の言葉の違い、そして地紅茶の活動で大事にしていることについて赤須さんに教えていただきました。
地紅茶には地域に根付いたものを活かして作った紅茶という意味がありますが、和紅茶には、日本国内で作られる紅茶には日本ならではのキャラクターがある、という考え方のもとに名付けられたと赤須さんは語ります。料理に例えれば和紅茶は和食、地紅茶は郷土料理といったイメージになります。
この地紅茶の考え方の根底にある地域活性化の文脈において、大事にしていることはサミット開催後の”ポストサミット”であると赤須さんは語ります。サミット開催地がそのあとどのように変わっていくかをとても重視しています。
ポストサミットの現地の活動例としては、佐賀県ではサミット後に生産者によって研究会組織が作られ、岡山県では地元の高校生が参加して商店街で紅茶イベントを毎年開催しています。
さらには熊本県水俣では九州和紅茶サミットとして連続的に和紅茶イベントが開催されたり、地元のスイーツショップと連携するといった活動が行われています。このような地域の中で新たなもの・連携を生み出すということを常に意識しています。
4.地紅茶サミットが「グッドデザイン賞」を受賞した背景と「世界遺産」への展望
この地紅茶サミットは2019年にグッドデザイン賞を受賞しました。その経緯とさらなる展望である世界遺産登録について藤原さんに伺いました。
数年前にグッドデザイン賞に地域づくりも申請できるようになったことから、やってみようということになったのだそうです。地紅茶サミット世話人会を中心に申請を進め、地域づくりという社会的意義、20回近くに及ぶ継続性が評価されて晴れて受賞にいたりました。
世界遺産登録という展望については、近代化と紅茶産業としての登録を考えています。
2014年に富岡製糸場が絹産業遺産として世界文化遺産に登録され、その理由が絹産業が明治の近代化を支えたから、ということに触発されました。
明治の近代化の原動力には間違いなく国産紅茶産業があり、絹と並んでお茶は外貨獲得に貢献していたと藤原さんは語ります。藤原さんは、世界遺産登録に向けた文化庁職員へのヒアリングを通じて、登録に必要なものは、当事者の本気になって登録したいという気持ちだということを知ります。
この熱意を持って進めば、当時の倉庫や道具は残っており、登録は十分に可能だといいます。さらに、食の観点からも世界遺産登録が可能だと考えています。
和食も世界遺産登録されましたが、和食の飲み物はお茶であり、飲食セットで食文化であるというお茶の位置づけを知ってほしいと藤原さんは熱弁します。そして世界遺産というインパクトで茶産業をさらに盛り上げたい、という夢があるのだと藤原さんは語りました。
世界遺産登録も考えられている日本茶の生産・流通の特徴について、赤須さんは生産規模と販売形態の二つを挙げています。
日本以外でお茶を大量に生産している国、たとえば中国やインドと比べて、日本の茶園一つ一つの生産規模は圧倒的に小さいといえます。また、生産者である茶園が生産物を消費者に直接自分で売る、という特徴があると赤須さんは語ります。
この生産者が消費者に直接販売する形態はコロナ禍において強いといえます。というのも、生産者と消費者との関係を守り、質を上げていく日本的な仕組みは、規模拡大の難しい状況においても可能であり、生き延びていく道だからです。
茶畑に行ってお茶飲むといった風景が日本で継承されるべきシステムなのではないか、と赤須さんは語ります。
5.紅茶で世界平和、そして宇宙平和へ!?
世界遺産登録だけでなく、紅茶で世界平和という概念も藤原さんと赤須さんは提唱しています。
この紅茶で世界平和というのは、世界中の誰もが良質の紅茶を飲みたいときに飲める状態が平和であり、その生産・流通・消費すべての過程で犠牲を強いられない、そのような世界を作っていこうというものです。
この概念から、例えば無農薬など健康に良いものにするといったことや、価格面で生産者が不利にならないようにするといった課題を見ることができます。
加えて、例えば一年のうち一日だけ世界中の人が紅茶を飲む日を作るといった発想やネットワークの構築ができたらいい、と藤原さんは語ります。世界中のお茶を飲む人がそのことでつながれる場所ができたらそれが平和につながるのだといいます。
さらに、藤原さんは紅茶と宇宙平和について語って頂きました。それはいつか人類が宇宙に出ていくとき、そこでも必ず紅茶を飲むはずです。紅茶で世界平和をめざすように、紅茶による宇宙平和が実現できるのではないかという夢です。
世界で一番飲まれている飲料といわれる紅茶は人類と死ぬまで一緒にあり続けると考えられます。そうであるならば宇宙空間でお茶を生産する技術を開発できないか、農学部の先生とそれを実験的にできないか藤原さんは今考えているところだといいます。
6.地紅茶/和紅茶の国内と海外への普及にむけた課題
藤原さんは農地保護や海外での競争力確保という意味でオーガニック無農薬や有機栽培の必要性を挙げています。日本のように小さな農家が分散して生産にあたっている体制では、紅茶の大量生産は難しい環境です。
そのため、行政が主導して生産の旗振りをし、品質の認証やブランディングが行われるようになることを藤原さんは期待しています。
赤須さんは紅茶の売れる市場と生産量は比例しない、と語っていました。赤須さんは一部の地方での紅茶が売れることを実証しましたが、その一方で生産量は伸びていないのだそうです。
その理由は高齢化やお茶の生産が6~7月という農繁期に行われるということ、気候的な困難があげられます。そのため、売れるから作れ、という理屈は単純には機能しないのだと赤須さんは語ります。
この現象を受け、お茶に関わるいろいろなものを巻き込んでいく必要を感じています。お茶には茶葉の生産者だけでなく、製茶機械の製造業者、パッケージの製作者、茶器の作家などたくさんの関連領域があり、それらの底上げ、地域の中での存続継承を現在は構想しているのだといいます。
7.地紅茶/和紅茶の特徴とは?
地紅茶は初期のころは海外の紅茶は渋くて苦手な人が飲んでいました。今では、和紅茶の多くはストレートで飲まれることに特徴があります。
一方でお茶を飲む理由は渋いからである、と赤須さんはおっしゃいます。最近はそのことが意識されなくなっていますが、渋いものは体の機能を整える働きがあり、その役割があって飲んでいるのだと考えています。
藤原さんは動物としての水分補給の工夫だ、と語ります。基本的には人間はそのまま水は飲めず、ろ過・殺菌されないといけないことから、ヨーロッパではハーブやビール、ワインが古くから飲まれてきました。
それらと同様の理由でお茶は飲まれているのだと考えます。最初は茶葉を食べて体に良いことを経験的に知り、そこから飲み物へ変化していったのだと分析します。この茶の変質は日本においても起こり、安土桃山時代には茶の湯・茶道がうまれました。
このように変質しつつも、水分補給という動物としての本能が基幹にある茶・紅茶は人類が滅びるまでともにあるだろうと藤原さんは語っています。
8.地紅茶学会とは?
2018年に設立された地紅茶学会は、学術会議というよりも、謙虚に地紅茶について学ぶ会である、と思っていると赤須さんはおっしゃいます。
地紅茶学会の場合、生産者、販売者、愛好家、研究家、誰が誰に学ぶのかという関係が難しく、そのため学際的に開催されているのだということです。
学会の構成は大学の先生の研究発表と生産者や愛好家の事例紹介の二本立てであり、2019年の発表は紅茶生産者に対するアンケートの分析が大学の先生から、また、伊豆の下田市の活動の推移や静岡県藤枝市での有機無農薬栽培のこだわりについて、そしてスコットランドで始まった紅茶づくりについての発表が行われました。
スコットランドのように緯度の高い場所ではとても紅茶作りはできないと思われていたところでも、試行錯誤しながら紅茶作りが始まっています。
このスコットランドの発表に見られるように、「地紅茶」はすでに国産紅茶の概念を超えていて、英語ではJapanese TeaではなくLocally Grown Teaと記載されることにも表れています。
地紅茶学会は、このような学際的風土を持ち、専門家同士がお互いの領域をコラボさせる場、という位置づけが面白いのだ、と赤須さんは語っていました。
※本インタビューは2021年2月12日にTOKYO TEA BLENDERSが主催し、東京大学、駒澤大学、中央大学の紅茶サークルメンバーが参加しました。インタビュー内容に基づき、東京大学紅茶同好会KUREHAの代表及びメンバーが文書化したものを加筆修正しました。
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