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TEA FOLKS4 お茶のカジハラ 梶原敏弘さんのご紹介

執筆者の写真: TOKYO TEA BLENDERSTOKYO TEA BLENDERS

更新日:2023年2月19日

TEA FOLKS(ティーフォルクス)は2カ月に一度、2茶園のプレミアム和紅茶を茶園のストーリーとともにお届けする定期便サービスです。

定期便価格で最新版をご希望の方はこちらからお申込みください。

各便のバックナンバー及び個別の茶葉単体販売も行っています。(在庫次第となります)


1.お茶のカジハラ 2021年夏摘み香駿の特徴

2021年は晩冬から暖かい日が続き、新芽がでるのがかつてないほど早くなりました。春摘み後に太陽の光をたっぷりと浴びて育った夏摘みの香駿の茶葉を紅茶にしました。


製造直後である現時点(2021年7月)ではまだ味は軽くほのかな酸味がありますが、梶原さんの経験では秋頃には味が落ち着いて深みがでてくるとのこと。


なによりも香駿らしい華やかな香りが周囲一帯に広がるような力強い紅茶になっています。


沸騰前の90℃のお湯で少し長いめに抽出すると、無駄な渋みをださず、香りのわきたつ紅茶をつくることができます。


柑橘系のフルーツと食べ合わせると華やかなティータイムになります。

秋にかけて熟成していく香駿の味の変化もお楽しみ頂ければと思います。


2.お茶のカジハラのはじまり

お茶のカジハラは、現園主・梶原敏弘さんの祖父が、第二次世界大戦中に赴任していた台湾から帰国して製材事業を立ち上げたのが起源となります。


当初は林業でしたが、その後、近くの山に自生している山茶を摘み始め、やがて茶畑を広げ製茶工場をたてたのが1950年(昭和25年)です。この年がお茶のカジハラの創業年であり、現在に至るまで70年以上の歴史をもっています。


とはいえ、もちろんインターネットなどはない時代、お茶のカジハラのある芦北(あしきた)告地区はもともとお茶の産地として有名なわけでもないため、地域で消費してもらうくらいの販売量でした。


二代目である敏弘さんの父の代には、緑茶用品種のやぶきたが植えられて、茶の生産も拡大していきました。


3.現園主・敏弘さんの就農

梶原敏弘さんも小学生の頃からお茶の手伝いをした記憶があるそうですが、就農したのは1980年(昭和55年)で、敏弘さんが大学から戻ってきてからのことでした。


当時、地域で製茶工場があるのは梶原さんのご自宅と隣の家の二軒だけで、近所で摘まれた茶葉が届けられて3交代制で24時間稼働し続けるような状態が続く時もありました。


告茶は町内では有名で作れば売れる時代でした。


しかし、敏弘さんが就農した1980年代には、茶畑が一気に増えた一方で食文化の変化がありお茶の販売量は減少しはじめ、1990年代はペットボトル飲料の普及もあって、最もお茶の販売が厳しい時代になりました。


他の農作物の生産もあるので、「お茶が売れなくてもしょうがないかぁ」くらいの気持ちで様子をみていたのですが、いよいよ本当に売れなくなってきていました。



4.見よう見まねではじめた紅茶作り

お茶の販売の低迷から転機になったきっかけが2010年ごろに紅茶作りを始めたことでした。


大学でも紅茶作りは教わっていたのですが、当時は緑茶絶頂期だったので、授業時間は数時間でそれほど詳しく教わっていたわけではありません。大学で作った時には変なにおいがしても水色が赤ければ紅茶かな?くらいの感覚でした。


当時、水俣では桜野園さんや天の製茶園さんなどが既に良質な紅茶を作り始めていて、梶原さんも作り方を教わりに行ったそうです。




見よう見まねで作っては農大の先生や熊本の農業試験場に持っていき確認してもらいました。


まだ和紅茶がつくられ始めた頃で、誰に聞いても「こんなものかなぁ」と納得してしまう、そんな時代だったのです。



5.茶をみて茶をつくる

2000年代半ば、インターネット回線がまだADSLだったころ、梶原さんはホームページを立ち上げます。ただし、ホームページがあってもなかなか注文ははいりません。


そんな中、ある女性から釜炒り茶の注文が入ります。翌年にも同じお茶が欲しいと連絡があり、そのうち、お茶づくりの時期に現場をみたいと言われるようになりました。


女性は中国にいた時期があり、中国の茶器やお茶に詳しく、中国茶の製法との違いに関心をもってたくさん質問をされたそうです。


女性の指導に基づき、最初は半信半疑でお茶作りをはじめ、出会って2-3年後の2013年頃には一緒に台湾へと製茶研修に訪問するようになります。


台湾では萎凋の進め方など製茶技術の原理原則を体感することができました。ただし、日本では品種も気候も異なるので萎凋のスピードや揉み方も違って、試行錯誤が続きました。


萎凋をしっかりさせて、香りを立たせるために揉捻にも工夫がいります。萎凋が何時間だったらよいといった基準もその日の天候で簡単に変わってしまいます。


経験からくる感覚を重視し、目で見て、葉を触って香りを確認してみて萎凋の上がり具合を判断します。

製茶の時期は夜12時まで様子を見て、萎凋待ちをして、仮眠して、目覚ましをかけて2時か3時に風量調整して、1時間置きに萎凋止めのタイミングをはかりに行く、そんな繊細な作業を続けているのです。


やがて、その女性に製茶指導を求める生産者が全国から集まるようになり、CLUB-Tと呼ばれるグループが結成されます。


近年の和紅茶の飛躍的な品質の向上には、このCLUB-Tでの切磋琢磨が大きく影響しており、実際に和紅茶の表彰茶園にはCLUB-Tに所属している茶園がたくさんならんでいます。


2021年2月にオンラインで開催されたジャパンティーフェスティバルでは冒頭に「CLUB-Tのまなざし」というタイトルでクラブ所属茶園のトークが繰り広げられ、大きな注目を集めました。


お茶のカジハラのホームページをたちあげた当時、インターネットでお茶は売れませんでしたが、製茶アドバイザーの女性と出会えたのが一番の収穫だったと梶原さんはおっしゃっています。


6.全国地紅茶サミットinみなまたの開催

梶原さんが、2013年の「第12回全国地紅茶サミットうれしの紅茶まつり」で佐賀県嬉野に見学に行った頃から、行政のバックアップで様々なイベントを紹介頂くようになります。


翌年の「第13回全国地紅茶サミットinお茶のまち金沢」からはブースを出展するようになりました。


熊本県は今までの行政にとらわれない取り組みをしていて、売ることに特化した部署があり、積極的なPRの支援もしています。それがきっかけとなって、水俣・芦北のお茶のグループもできました。


2017年には、グループで一丸となって「第16回全国地紅茶サミットinみなまた」を開催します。


1年以上も前から、行政のバックアップをうけて、イベントを盛り上げるために企画を練り様々なイベントでチラシを配ったり、福岡のFMラジオに週一交代で出演したりと考えられる限りのPR活動を行いました。

その甲斐あってか「全国地紅茶サミット」過去最高(現在も)となる6,000人を超える来場者と出店者を迎えることが出来ました。


今では、水俣ブランドでお茶が認知されるようになり、全国地紅茶サミット以来、「九州和紅茶サミット in みなまた」として和紅茶のイベントが開催されるくらいグループの結束力も高まっています。(コロナ禍の間は開催見合わせ)



7.お茶のカジハラの品種

お茶のカジハラでは、在来種やべにふうきのほか、香駿やいずみを和紅茶として製造しています。その他にも現在育成中の品種もあり更にその幅は広がりそうです。


どの品種もそれぞれ特徴がありますが、梶原さんが特に最近よかったと太鼓判をおすのが香駿です。香駿は釜炒り茶にも紅茶にも烏龍茶にしても高いパフォーマンスを発揮しているようです。


ただし、気になるのが2020年7月4日に熊本県を襲った大豪雨の影響です。


在来品種の茶園では、幅2メートル程度の人が行き来できる通路が、土砂崩れで茶樹ごと流されて、ゴロゴロと岩肌が露出していました。


梶原さん宅も床下まで浸水し、畳を外して泥を書き出す作業が大変だったといいます。


2021年2月に取材した際には、ご近所でも道路脇に痛々しい災害の爪痕が残っていました。復旧工事が至るところでみられ、片道車線となっています。

ところが、その災害のあとの2020年秋摘みのべにふうきは過去最高の仕上がりになりました。やはり、植物は厳しい環境にあった方が美味しいものができあがるのかと梶原さんは首をかしげていました。


今後、お茶のカジハラの各品種がどのように育っていくのか注目されるところです。



8.取材後記


芦北には美しい海があり、漁をする帆船を眺めるのも楽しみのひとつです。


梶原さんと最初に待ち合わせをした道の駅 大野温泉センターには、地域の食材をふんだんに使った手料理の総菜が食べ放題となったランチサービスがあり、取材の最初からとても気分が盛り上がりました。

梶原さんからは道の駅 芦北でこぽん も勧めて頂きましたが、残念ながら今回は訪問できませんでした。


隣村の球磨村にある九州最大の鍾乳洞「球泉洞(きゅうせんどう)」も観光地として人気だということでした。


三代目園主の敏弘さんですが、ご子息がしっかりと製茶のお手伝いをし、またハーブを育ててお茶とのブレンドを研究したりと、次世代らしいお茶作りに着手されているそうです。


中国茶の製茶方法を取り入れて和紅茶の飛躍的な品質向上をリードしてきた敏弘さんですが、そう遠くない未来に「ご隠居」と呼ばれる日が来るのかもしれません。

お茶のカジハラ四代目の若い世代のお茶作りにもぜひ注目していきたいと思います。


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