ひのはら紅茶(東京都檜原村)の生産者である戸田雅子さん(71歳)がご病気のため2021年5月26日夕刻に逝去されました。謹んでお悔やみ申し上げます。
TOKYO TEA BLENDERSでは、2021年5月19日に開始したTEA FOLKSの第一便でひのはら紅茶と丸子紅茶をお取り扱いしています。ここで戸田さんとの思い出を振り返りたいと思います。
戸田さんとの出会い
私が戸田さんと実際にお会いしたのは、2020年11月29日の「第19回全国地紅茶サミットin東京ひのはら」にIT担当として事務局に入らせて頂いたのがきっかけでした。
より正確にはその前日の11月28日、前夜祭としてお鍋を囲んだのがはじめての対面です。
あれからちょうど半年後の今日、このようなお別れの文章を発出することになるとは夢にも思っていませんでした。
半年前のその日は、檜原村の秋が深まり冬が到来する前のやさしく美しい陽光が差し込む一日でした。
全国地紅茶サミットは過去には6000人もの人が集まる人気のイベントで、一年に一度、各地域持ち回りで開催されてきました。
2020年はひのはら紅茶10周年であり、オリンピックイヤーであることから戸田さんが東京檜原村での開催を立候補していました。しかし、コロナ禍の開催を直前まで悩んでオンライン開催になった経緯は以前に記事にしました。
全国25茶園と150名の地紅茶ファンを結ぶオンラインイベントの事務局は檜原村におかれました。戸田さんの師匠である村松二六さん夫妻も応援に駆け付け、お茶博士の大森先生が横に座り、とても賑やかな会場となっていました。
とにかく快活で現役の高校教師のように大きな戸田さんの声を、隣に座る大森先生のマイクが拾って、参加者さんから何度もご指摘を頂いたのも楽しい思い出です。
日が暮れてイベントの最後に、戸田さんが生産者さんと地紅茶ファンの皆さんにご挨拶をされるとき、照れながらも嬉しそうな、久々に学校の先生の顔だったのではないかと思い出されます。
私はオンライン開催は誰か詳しい方が戸田さんにアドバイスをしたのかと思っていましたが、なんと70歳を超えてパソコンに不慣れな戸田さんが自ら提案したことだったそうです。
私が地紅茶サミットがオンライン開催されることを知り、何かお手伝いできることはありませんかと戸田さんにご連絡したのは、既にイベント開催まで2ヵ月をきった10月8日のことでした。そこから、戸田さんに続々とご質問を頂く日々が始まりました。
イベント開催まで1か月半をきった中でも、戸田さんはなんとか成功させたい、コロナに負けたくないと日々思考を巡らせていたのだと思います。70歳を超えた方とは思えない、想像力と胆力でした。
オンライン開催決定後、短期間のうちにたくさんの方を戸田さんのパワーで巻き込んで、初の大規模なオンライン地紅茶サミットを成功に導きました。
地紅茶サミット後、夢の実現にむけて・・・
檜原村での地紅茶サミット実行委員メンバーとは週に一度、打ち合わせをしていましたが、イベント終了後も溢れ出てくる戸田さんのアイデアをどのように実現するか、定期的にオンラインで集まって議論していました。
オンラインお茶会の輪を繋ぎ続けたい、檜原村を象徴する檜原フォントをつくりたい、霜対策になる農家キャンプ場をつくりたい
戸田さんの様々なアイデアがでてきていました。
私からも、2021年には和紅茶の定期便サービスを開始して第一便ではひのはら紅茶と丸子紅茶をお届けしたい とご相談していました。
しかし、2020年の年末から戸田さんは体調を崩されてしばらく連絡がとれなくなり、2021年の年初にお身体を病魔が蝕んでいることを医師から告知されたとお聞きしました。
私にとっても頭がクラクラするような、本当にショックなことでした。
病気告知後の戸田さんの活動
戸田さんは療養生活にはいりつつも、どのようにひのはら紅茶を発展させ、戸田さんのプロジェクトを続けるかオンラインで議論が再開されました。
東京都心の病院に入院することを望まず、檜原村で過ごしたいと希望されていました。
2021年1月24日(日)オンライン会議での戸田さん
実際のところ、いつもの戸田さんのままでした。とにかく快活によく話しますし、余命告知なんてなかったかのように将来のプロジェクトの夢を語っていました。
2021年1月31日(日)私も檜原村にお伺いして、東京大学紅茶同好会や駒澤大学紅茶文化研究会の皆さんと戸田さんがひのはら紅茶で取り組んできたことをインタビューせて頂きました。
身振り手振りを交えて、和紅茶ならではの茶器のアイデアも楽しそうに話しておられました。嬉々として快活な様子を拝見し、あと3年は軽く生きて、あわよくば完治するのではないかとさえ思っていました。
その後も週に一回夜のオンライン打ち合わせは続き、チャットアプリで戸田さんから長文の返信がくることもありました。
絶筆となった"ひのはら紅茶"手書きパッケージ
もともと、TEA FOLKSの第一便で取り扱うひのはら紅茶は、茶葉のみを仕入れてこちらで茶袋にパッキングする予定でした。
4月の上旬、先の戸田さんへのインタビュー内容を記事にして、戸田さんにご確認をお願いしたところ、4月11日に大変細かく修正ポイントを20カ所近く頂きました。病床にあるとは思えないとても丁寧な校正でした。
その翌日のことです、戸田さんから、
「もう少し納品を待ってくれたらパッケージに”ひのはら紅茶”を手書きするわよ」
とご連絡を頂きました。
「これからも書道教室で筆をとることはあるかもしれないけれど、パッケージに書くのはもうこれで絶筆よ(笑)」と笑っておっしゃっていました。
不穏なので、絶筆なんて言わないでください!とやり取りしていました。
今となってはご本人に確認することもできませんが、戸田さんが、亡くなる一カ月前にもう一度筆を持って ひのはら紅茶 を直筆しようと思ったのは、私たちのインタビュー記事を校正頂いたのがきっかけになったのではないかと思うのです。
私たちが戸田さんにインタビューをして書いた記事には、戸田さんの半生が描かれています。
戸田さんは私たちの記事のチェックをしている中で、ひのはら紅茶を売り始めた頃のこと、パッケージに一枚一枚手書きをしていた頃のことを思い出したのではないかと思います。
「年末年始に寝込んでから筆を持ってなかったから、一枚一枚ぶれがあるけど、おかげでいい練習になってるわよ」
戸田さんから明るい声が聞こえてきたのは4月の後半でした。
ゴールデンウイークが終わる5月9日(日)に檜原村から「お徳用ラーメン14食」の段ボール箱を転用した大箱が届きました。
中にはたくさんの ひのはら紅茶がはいっていました。
ひとつひとつ、字の太さは異なりますが、決して筆の腕が衰えたようには見えません。顔を近づけてみると、墨の香りと檜原村の戸田さんのご自宅の香りが入り混じった懐かしい香りがします。
戸田さんが選んだ日
ひのはら紅茶のメンバーの方から、5月24日(月)に全国ネットのテレビ局の取材がはいるので檜原村にお越しになりませんか とご案内を頂きました。
そろそろまた、戸田さんのご様子をみにいきたいと思っていましたが、テレビ局の取材に合わせて平日、会社を休んでいくのはどうしたものかと悩んでいました。
しかし、24日の朝、メンバーからの連絡は、「今日は来た方がいい」と強いものに変わっていました。
前日まで、紅茶作りを指導をされていた戸田さんですが、24日の朝から、意識が混とんとし始めたのです。
テレビ局の取材でタレントさんが来る賑やかな日、メンバーが集まりやすそうな日、そんな日を戸田さんの運命が選んだのではないかと感じています。
お見舞いに伺った際には、ほんの少し前にオンライン会議で快活にお話しされていた様子とはもう異なってしまっていました。
最後に
戸田さんは50歳を過ぎてから、ご主人や家族のいる都心をはなれ、檜原村にお一人で移住してこられました。
書家として余生を静かに晴耕雨読の生活で過ごそうと考えていたようです。しかし、裏山にチャノキがあったことがきっかけで、たくさんのメディア取材をうける、まるで正反対の余生になりました。
その戸田さんが亡くなる一カ月前に、ご自宅で、どのような想いで筆をとり"ひのはら紅茶”の文字を書き入れていたのかと思うと、戸田さんの書家としての意地とひのはら紅茶のプロジェクトに込めた熱い思いを感じずにはいられません。
今の時代、71歳はあまりにも若いですが、国語の高校教師として、書家として、そして檜原村の名物、ひのはら紅茶の生産者として、通常の何倍もの濃さの人生を駆け抜け、大変満足な人生を過ごされたと思います。
ご家族の皆さまも集まり、ひのはら紅茶のチームにも看取られ幸せな時間だったと思いたいです。あらためてご冥福をお祈りいたします。
TOKYO TEA BLENDERSは、これからも戸田さんの遺志を継ぎ、たくさんの方に和紅茶とひのはら紅茶を知って頂けるように活動をしてまいりたいと思います。
本稿の最後となりますが、全国地紅茶サミット開催の1週間前に、丸子紅茶の村松二六さんと戸田雅子さん、及び世話人会の赤須さん、岡本さんがオンライン対談をされた貴重な映像が残っています。
今、あらためて拝見し、戸田さんのイベント開催に向けた熱い想い、そして、あの聴く人を惹きつける快活で明朗な語り口が、もう本当に聞けないのか、大きな喪失感にかられています。映像をみていると、またあの調子で戸田さんが夢をかたるいつもの会議が来週にでもひらかれるんじゃないか、そのような錯覚をおぼえます。
戸田さんへ 心からの敬愛を込めて
TOKYO TEA BLENDERS代表 根岸
教師を終え、紅茶作りに第二の人生を駆け抜けた感じでした。 素敵な晩年だったですよ。 去年の紅茶作りの最中に檜原村から青部まで車を飛ばして来ました。 あの時の中で止まっています。 出会いに偶然はないですね。 根岸さん、感謝です。